尊厳死法制化を考える議員連盟
増子 輝彦 会長
2012年8月3日
NPO法人医療的ケアネット
京都市南区吉祥院石原上川原町21
理事長 杉本 健郎
理事・監事一同
「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」に関する声明
わたしどもNPO法人医療的ケアネットは、痰の吸引や経管栄養(胃瘻等)を必要とする重い障がいのある人々が「当たり前に暮らせる社会」を実現するために、具体的な政策提言、支援者養成、さらに様々な調査・研究に取り組んでいる団体です。
今回、「尊厳死法制化を考える議員連盟」によって国会上程を予定されている「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」(以下「法案」)について、当NPO法人としての意見および懸念を示し、法案の撤回を希望する旨をお伝えいたします。
法案における「終末期」の定義については「二人の医師の判断」で行うとなっていますが、それではなにをもって「終末期」とするのかは、それぞれ医師の「主観」に左右されることとなり、大変曖昧なものであると言わざるをえません。根拠が曖昧である判断を「法律」の中で認めることについて大変疑問を感じます。
またこの法案によって「人工呼吸器を使って生きる」、「胃瘻や経管栄養で生きる」という重い障がいのある人々にとっては「当たり前でかけがいのない生」を、「尊厳のない生」としてしまう危険性をはらんでいるということも指摘しておかねばなりません。当法人ではどのような様態であろうと、いかなる年齢であろうと、当然に存在する「尊厳ある生」を保障するために活動しており、ある特定の状態を「尊厳のない生」とされることには断固反対いたします。
当法人で「医療的ケア」と称しているこれらの「生きる術」によって、安楽に幸せに暮らせる社会をつくりだすことこそが、多様な生を認める「より豊かな社会」であることは、国連の「障害者権利条約」を持ち出すまでもなく自明のことです。
「治療の不開始」の背景に「治療しても重い障がいが残るなら治療せずともいい」という発想がある以上、到底認められるものではありません。また「延命措置の中止」という言葉が終末期の定義の曖昧さとともに、医療的ケアを必要とする重い障がいのある人々に、日常的に「生きるに値しないいのち」であるかのような重圧をかけることにもなりかねません。必要なのは「治療の不開始」や「治療の中止」ではなく、「尊厳ある生」を保障するために介護や医療がきちんと保障されることです。
法案には「障害者への配慮」という文言もありますが、この法案が「治療の不開始」に触れている以上、それは、この国に暮らす人々に対する医療が「他者の判断によって、選択的に行われないこともありうる」ということを意味しています。上述のような理由で「治療の不開始」とされることは、重い障がいのある人々の「存在の否定」につながる可能性のあることを厳しく指摘せねばなりません。
これらの点から、この法案が、障がいのある人々への十分な配慮に基づいて提案されたとは考えにくく、法案の撤回を求めます。
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私たちは、生命維持に必要な治療を拒否するための法案上程に対し、反対いたします。
平成24年1月31日
尊厳死法制化を考える議員連盟殿
日本ALS協会会長 長尾 義明
日本ALS協会副会長 岡部 宏生
日本ALS協会名誉顧問 橋本 みさお
私たちは、生命維持に必要な治療を拒否するための法案上程に対し、反対いたします。
私たちALS等神経筋疾患患者は病いの進行に伴い、いずれは常時人工呼吸器を装着し、経管等で水分や栄養の補給をすることになりますが、これらの治療法の確立のおかげで長期生存が実現しています。
しかしながら、現在の日本において1日24時間、1年365日をカバーする公的介護保障が確立されていないために、長期生存につながる経管栄養や人工呼吸器の治療の開始と継続は、実質的には世話をする家族の犠牲的覚悟に委ねられています。
平成24年1月31日
尊厳死法制化を考える議員連盟殿
日本ALS協会会長 長尾 義明
日本ALS協会副会長 岡部 宏生
日本ALS協会名誉顧問 橋本 みさお
私たちは、生命維持に必要な治療を拒否するための法案上程に対し、反対いたします。
私たちALS等神経筋疾患患者は病いの進行に伴い、いずれは常時人工呼吸器を装着し、経管等で水分や栄養の補給をすることになりますが、これらの治療法の確立のおかげで長期生存が実現しています。
しかしながら、現在の日本において1日24時間、1年365日をカバーする公的介護保障が確立されていないために、長期生存につながる経管栄養や人工呼吸器の治療の開始と継続は、実質的には世話をする家族の犠牲的覚悟に委ねられています。
それゆえALS等の難病患者が家族に遠慮することなく、治療を受けたい、生きていきたいという気持ちを自由に表明できる環境はないに等しく、家族の同意なしには呼吸器の装着が叶えられず、医師にも社会にも見捨てられ、無念のうちに亡くなる患者は後を絶ちません。
難病患者とて命にかかわる治療に関しては自分の意思で決定したいと思っていますが、ALS等の進行性疾患の場合、早期の事前指示書の作成により治療を断念する方向に誘導されてしまうことが多々あります。重度の身体障害を併せ持つ難病患者が家族に頼らず、個人で生き延びるための保障はいまだ皆無に近い状況にあるため、事前に治療を断って死ぬ覚悟を患者自らが表明してしまうと家族も医師も安心し、呼吸器装着を勧めてくれなくなります。もし、治療を断るための事前指示書やリビングウィルの作成が法的に効力を持つようなことになれば、ますますこれらの患者は事前指示書の作成を強いられ、のちに治療を望む気持ちになってもそれを伝えることが困難になるため、書き換えはことごとく阻止され、生存を断念する方向に向けた無言の指導(圧力)を受け続けることが予想できます。このたび「尊厳死法制化を考える議員連盟」で検討されているという「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」は、その内容から難治性疾患患者や重度障害児者、遷延性意識障害者、頸椎脊椎損傷者、精神疾患患者、また貧困のために医療や介護の自己負担に耐えられない社会的弱者に対して、冷たく自己決定による治療の断念を迫るものであります。
この法案は患者の権利を謳いながら、実はこれらの予備軍であるすべての国民から生存のために必要不可欠な治療や救急医療を受ける権利をはく奪するものであります。私たちは法案提出に反対する意見をここに表明いたします。
「誰の尊厳のための死なのか。優先されるべきは当事者の意見と尊厳であることはいつの世も変わってはならない」と人工呼吸器療法も20年目のALS患者は考えています。
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難病患者とて命にかかわる治療に関しては自分の意思で決定したいと思っていますが、ALS等の進行性疾患の場合、早期の事前指示書の作成により治療を断念する方向に誘導されてしまうことが多々あります。重度の身体障害を併せ持つ難病患者が家族に頼らず、個人で生き延びるための保障はいまだ皆無に近い状況にあるため、事前に治療を断って死ぬ覚悟を患者自らが表明してしまうと家族も医師も安心し、呼吸器装着を勧めてくれなくなります。もし、治療を断るための事前指示書やリビングウィルの作成が法的に効力を持つようなことになれば、ますますこれらの患者は事前指示書の作成を強いられ、のちに治療を望む気持ちになってもそれを伝えることが困難になるため、書き換えはことごとく阻止され、生存を断念する方向に向けた無言の指導(圧力)を受け続けることが予想できます。このたび「尊厳死法制化を考える議員連盟」で検討されているという「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」は、その内容から難治性疾患患者や重度障害児者、遷延性意識障害者、頸椎脊椎損傷者、精神疾患患者、また貧困のために医療や介護の自己負担に耐えられない社会的弱者に対して、冷たく自己決定による治療の断念を迫るものであります。
この法案は患者の権利を謳いながら、実はこれらの予備軍であるすべての国民から生存のために必要不可欠な治療や救急医療を受ける権利をはく奪するものであります。私たちは法案提出に反対する意見をここに表明いたします。
「誰の尊厳のための死なのか。優先されるべきは当事者の意見と尊厳であることはいつの世も変わってはならない」と人工呼吸器療法も20年目のALS患者は考えています。
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「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」に対する会長声明
「尊厳死法制化を考える議員連盟」が、「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」(以下「本法律案」という。)を発表し、本法律案を、本通常国会に超党派の議員立法で提出する予定と報じられている。
本法律案は、終末期の延命治療の不開始を希望する患者の意思を表示する書面などに従い延命治療の不開始をした医師を免責することを主たる内容として、いわゆる尊厳死(以下「尊厳死」という。)を法制化しようとするものである。
そもそも、患者には、十分な情報提供と分かりやすい説明を受け、理解した上で、自由な意思に基づき自己の受ける医療に同意し、選択し、拒否する権利(自己決定権)がある。この権利が保障されるべきは、あらゆる医療の場面であり、もちろん、終末期の医療においても同様である。また、終末期の医療において患者が自己決定する事柄は、終末期の治療・介護の内容全てについてであり、決して本法律案が対象とする延命治療の不開始に限られない。特に、延命治療の中止、治療内容の変更、疼痛などの緩和医療なども極めて重要である。この点、2007年5月に、厚生労働省が公表した「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」においても、「医師等の医療従事者から適切な情報提供と説明がなされ、それに基づいて患者が医療従事者と話し合いを行い、患者本人による決定を基本としたうえで、終末期医療を進めることが最も重要な原則である」と確認されているとおりである。疾患によって様々な状態である終末期においては、自ら意思決定できる患者も少なくないが、終末期も含めあらゆる医療の場面で、疾病などによって患者が自ら意思決定できないときにも、その自己決定権は、最大限保障されなければならない。しかるに、我が国には、この権利を定める法律がなく、現在もなお、十分に保障されてはいない。
特に終末期の医療に関する自己決定に関しては、これが真に患者本人の自由な意思に基づくものであることを保障する手続や基盤の整備が必要である。本法律案が対象とする終末期の延命治療の不開始は、患者の生命を左右することにつながる非常に重大な決断であるところ、患者が、経済的負担や家族の介護の負担に配慮するためではなく、自己の人生観などに従って真に自由意思に基づいて決定できるためには、終末期における医療・介護・福祉体制が十分に整備されていることが必須であり、かつ、このような患者の意思決定をサポートする体制が不可欠である。しかしながら、現在もなお、いずれの体制も、極めて不十分である。
このような視点から、当連合会は、2007年8月に、「『臨死状態における延命措置の中止等に関する法律案要綱(案)』に関する意見書」において、「尊厳死」の法制化を検討する前に、①適切な医療を受ける権利やインフォームド・コンセント原則などの患者の権利を保障する法律を制定し、現在の医療・福祉・介護の諸制度の不備や問題点を改善して、真に患者のための医療が実現されるよう制度と環境が確保されること、②緩和医療、在宅医療・介護、救急医療等が充実されることが必要であるとしたところであるが、現在もなお、①、②のいずれについても全く改善されていない。そのため、当連合会は、2011年10月の第54回人権擁護大会において「患者の権利に関する法律の制定を求める決議」を採択し、国に対して、患者を医療の客体ではなく主体とし、その権利を擁護する視点に立って医療政策が実施され、医療提供体制や医療保険制度などを構築し、整備するための基本理念として、人間の尊厳の不可侵、安全で質の高い医療を平等に受ける権利、患者の自己決定権の実質的保障などを定めた患者の権利に関する法律の早期制定を求めたものである。
本法律案は、以上のように、「尊厳死」の法制化の制度設計に先立って実施されるべき制度整備が全くなされていない現状において提案されたものであり、いまだ法制化を検討する基盤がないというべきである。しかも、本法律案は、医師が、患者の希望を表明した書面により延命措置を不開始することができ、かつその医師を一切免責するということのみを法制化する内容であって、患者の視点に立って、患者の権利を真に保障する内容とはいい難い。また、「尊厳死」の法制化は、医療のみならず社会全体、ひいては文化に及ぼす影響も大きい重大な問題であり、その是非や内容、あるいは前提条件などについて、慎重かつ十分な国民的議論が尽くされることが必須である。 当連合会は、こうした前提を欠いたまま、人の生命と死の定義に関わり国民全てに影響する法律を拙速に制定することに、反対する。
2012年(平成24年)4月4日
日本弁護士連合会
会長 宇都宮 健児
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人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)
会長 大塚 孝司
尊厳死の法制化に反対します
―バクバクっ子「いのちの宣言」とともに―
国会議員のみなさまにおかれましては、すべての子どもたちの命を健やかに守り育むために、日夜、ご尽力いただきまして、心より感謝しております。
私たち、人工呼吸器をつけた子の親の会<バクバクの会>の子どもたち(以下、バクバクっ子)の多くは、病気や事故など理由は様々ですが、長期に渡って人工呼吸器や経管栄養を使いながら、生活しています。
2012年3月7日、東京新聞朝刊で、「終末期患者が延命治療を望まない場合、人工呼吸器装着など延命措置を医師がしなくても、法的責任を免責される法案」が、三月中にも議員立法で国会に提出されようとしていることが報じられました。
現在、国連障害者権利条約の批准をめざし、どんな重い障害があっても、ひとりのかけがえのない人間として尊重され、当たり前に暮らせる方向を目指して、障害者施策の見直しがされている中で、なぜ、このように重度障害や難病をもつ人々の命の軽視につながりかねない法案が上程されようとしているのか、私たちには理解できません。
法案では、「適切に治療しても患者が回復する可能性がなく、死期が間近と判定された状態を『終末期』と定義」されているようですが、人の命とは、専門家といえども簡単に推し量ることなどできないことをバクバクっ子たちが証明しています。
バクバクっ子のほとんどは、当初、医師より生命予後不良との宣告を受けたものの、それらの予測を大きく覆して、それぞれの地域で様々な困難に直面しながらも、年齢に応じた当たり前の社会生活を送りたいと願い、道を切り拓いて来ました。医療によって命を救っていただき、サポートしていただいたからこそ、彼らの「現在」があります。
その生き抜く彼らの姿から、生きても仕方のない命など一つもないことを私たちは教えられました。さらに、彼らの未来を阻む最も大きな障壁は、彼ら自身の障害や病気などではなく、わたしたち家族を含めた社会の「重い障害や病気を持って生きることは尊厳がない」という決めつけであることにも気づかされました。
その人の思いに沿った医療は、本人・家族と医療関係者のみなさんが、信頼関係の下、ていねいにコミュニケーションをとっていくことで実現されるはずです。それを、わざわざ法制化することは何を意味するのでしょうか。私たちは、今後、重度障害や難病をもつ人や子どもたちの未来をも否定されていく方向に、社会が転がり落ちていくのではないかという大きな危惧を覚えます。
2010年8月、バクバクの会設立20周年集会において、バクバクっ子たちが「バクバクっ子・いのちの宣言」を発表しました。私たちは、この「いのちの宣言」を添え、ここに、尊厳死法制化反対を表明します。
尊厳死法制(終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案) に反対する(声明文)
社団法人全国脊髄損傷者連合会 副理事長 大濱眞
特定非営利活動法人日本せきずい基金 理事長 大濱眞
いわゆる尊厳死法案では「終末期の医療における患者の意思の尊重」することが前面に謳われている。ここで、本法案の定義で「終末期」とは、「患者が、傷病について行い得る全ての適切な治療を受けた場合であっても回復の可能性がなく、かつ、死期が間近であると判定された状態にある期間をいうもの」とある。 しかし、
1.誰が「適切な治療を受けた場合」と判断するのか? 言い換えれば、リスボン宣言(患者の権利に関する世界医師会(WMA)リスボン宣言)の原則としての、患者が「良質の医療を受ける権利」に、医師が十分に応えたかを誰が判断するのか?
⇒ 現実問題として、判断しうる人はいない。
※ 私事であるが、大濱は、頸髄を損傷した当初の急性期に3度、医師から「あと数時間の命ですから」と家族・親戚に集合命令がかかった。また、頸髄を損傷して1週間後に、気管を切開されて人工呼吸器を装着されていた。
このような、私事と照らし合わせたケースを想定すると、途中で医師が「適切な治療をした」また「回復の可能性がなく、かつ、死期が間近」と判断したとして、頸髄を損傷する以前に私が「延命措置の差控えを希望する意思を書面」にサインしていたら今の私は存在しない。
このように、「延命措置の差控え」について終末期であるとの判断が医師に委ねられるとしたら、医療技術が日進月歩に発展するなかで、医師によって、病院によって医療水準に差異が常に存在し(すべての医師または病院が最高・最善の水準に達することは不可能)、「最善の良質な医療」を患者が受けらない以上、結果としては殺人である。
すなわち、リスボン宣言が謳う「良質な医療を受ける権利」を医師が患者に全うさせようとすれば、この法案に言う「適切な治療」を完遂したと判断を下せる人はいない。
2.「回復の可能性がなく」の判断は、医師でも困難であり、経験則に基づいた推定程度あろう。だとすれば、経験則に基づいた推定で治療を差し控え、死に至らしめたとすると、たとえ同意文があろうともこれは殺人であろう。また、同じくリスボン宣言の「1.良質の医療を受ける権利」のa項、c項、d項、f項に反している。特にf項の「患者は継続性のある医療を受ける権利を有する。医師は医学的に適切なケアが一貫性を保って患者に提供されるよう他の医療提供者と協力する義務を負う。医師は、患者がそれに代わる治療の機会が得られるような適切な支援と十分な配慮をすることなしに、医学的に必要な治療を中断してはならない。」の中断であり、限りなく殺人に近い行為または殺人である。
3.「死期が間近である」との判定の後、蘇生した事例は、私の事例を挙げるまでもなく、多数報告されている。死期が間近であるとの判定は、誰にもできない。以上のように、本法案が大前提としている「終末期」の定義規定そのものが現実的に無理があり、終末期と判断できる人(医師)は存在しない。存在するとすれば、リスボン宣言を無視あるいは違反し、患者を死へ誘導する者(医師)である。この場合、殺人罪に問われるであろう。
最近の事例として
2011年9月27日24時間介護が必要なのに公的な介護時間に上限があるのは違法として、和歌山市に住むALSの患者が、市を相手に24時間介護を求めた訴訟で、和歌山地裁は、患者1人が1日20時間の介護サービスを受けられるよう仮の義務付け命令を出した。
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「地裁による仮の義務付け命令による波及効果」
上記、地裁の仮の義務付けの命令が出た直後、京都市近隣の市で、地域に住むALS患者に対して、(それまで重度訪問介護の支給は1日10時間が上限と市は言っていたが)、一日20時間の支給決定をしたいと言い出した。
この自治体はその前の月まで、そのALS患者に対して、「うちでは上限が300時間」と言っていた。
そういう行政の雰囲気を受け、そのALS患者は、介護が重くなったら家族に迷惑がかかる、そこまで家族を苦しめたくない、呼吸器はつけずに死ぬ、と言っていました。
主治医も、「この患者は呼吸器つけずに逝くのかな」という認識だった。和歌山地裁が仮の義務付け命令を下した翌日に、このALS患者のケア会議があ り、自治体の職員も同席。ALS患者は「行政のヘルパー時間数の判断次第で は、家族に迷惑かかるから呼吸器をつけない。どういう意向か」、と市職員に問いかけた。市職員は、同じようなALSの患者で、近隣の都市でも620時間程度出ているので、制度的にはいける、と言いました。
なんと、これにより、そのALS患者は、呼吸器をつけて生きる、と判断をした。長時間介護が出るかどうかの支給決定こそ、生死をわける最大の問題でした。それが出たから、その人は、家族とともに生きる、という決断をしました。
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上記の事例のように、充分な公的介護を受けられないために死を選ぶ、最善の医療を受けられないので死を選択せざるを得ない。このような環境が現存する。尊厳のある死とは何かという疑問もあるが、尊厳死、安楽死の議論は、まず安心して生きることができる社会保障制度が確立し、必要な人には必要な公的介護が受けられ、また必要な最善の医療が施されるまでは、議論を遡上に乗せるのは危険である。死を選択したくないのに、現状の社会保障制度下では選択せざるを得ない。このような状況を助長し、黙認しているこの法案は、非常に危険である。従って、当団体としては、本法案に反対する。
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参考20時間の介護認める=ALS訴訟、初の仮義務付け-和歌山地裁
時事
24時間介護が必要なのに公的な介護時間に上限があるのは違法として、和歌山市に住む筋萎縮性側索硬化症(ALS)の70代の男性患者2人が、市を相手に24時間介護を求めた訴訟で、和歌山地裁(高橋善久裁判長)は27日までに、患者1人が1日20時間の介護サービスを受けられるよう仮の義務付け命令を出した。原告弁護団によると、障害者自立支援法をめぐる裁判で、仮の義務付け命令が出たのは初めて。決定は26日付。もう一人の原告患者は今月8日に亡くなったため、決定が間に合わなかった。決定は、原告患者にはほぼ常時介護サービスが必要と認めた上で、妻の健康状態や経済状況を考慮。1日20時間分の介護サービスについて公的給付が必要と判断した。その上で「緊急の必要性がある」として市に対し、介護保険法で賄われている3.5時間分に加え、障害者自立支援法に基づき1日16.5時間の介護給付費の支給を仮に義務付けた。
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※ 私事であるが、大濱は、頸髄を損傷した当初の急性期に3度、医師から「あと数時間の命ですから」と家族・親戚に集合命令がかかった。また、頸髄を損傷して1週間後に、気管を切開されて人工呼吸器を装着されていた。
このような、私事と照らし合わせたケースを想定すると、途中で医師が「適切な治療をした」また「回復の可能性がなく、かつ、死期が間近」と判断したとして、頸髄を損傷する以前に私が「延命措置の差控えを希望する意思を書面」にサインしていたら今の私は存在しない。
このように、「延命措置の差控え」について終末期であるとの判断が医師に委ねられるとしたら、医療技術が日進月歩に発展するなかで、医師によって、病院によって医療水準に差異が常に存在し(すべての医師または病院が最高・最善の水準に達することは不可能)、「最善の良質な医療」を患者が受けらない以上、結果としては殺人である。
すなわち、リスボン宣言が謳う「良質な医療を受ける権利」を医師が患者に全うさせようとすれば、この法案に言う「適切な治療」を完遂したと判断を下せる人はいない。
2.「回復の可能性がなく」の判断は、医師でも困難であり、経験則に基づいた推定程度あろう。だとすれば、経験則に基づいた推定で治療を差し控え、死に至らしめたとすると、たとえ同意文があろうともこれは殺人であろう。また、同じくリスボン宣言の「1.良質の医療を受ける権利」のa項、c項、d項、f項に反している。特にf項の「患者は継続性のある医療を受ける権利を有する。医師は医学的に適切なケアが一貫性を保って患者に提供されるよう他の医療提供者と協力する義務を負う。医師は、患者がそれに代わる治療の機会が得られるような適切な支援と十分な配慮をすることなしに、医学的に必要な治療を中断してはならない。」の中断であり、限りなく殺人に近い行為または殺人である。
3.「死期が間近である」との判定の後、蘇生した事例は、私の事例を挙げるまでもなく、多数報告されている。死期が間近であるとの判定は、誰にもできない。以上のように、本法案が大前提としている「終末期」の定義規定そのものが現実的に無理があり、終末期と判断できる人(医師)は存在しない。存在するとすれば、リスボン宣言を無視あるいは違反し、患者を死へ誘導する者(医師)である。この場合、殺人罪に問われるであろう。
最近の事例として
2011年9月27日24時間介護が必要なのに公的な介護時間に上限があるのは違法として、和歌山市に住むALSの患者が、市を相手に24時間介護を求めた訴訟で、和歌山地裁は、患者1人が1日20時間の介護サービスを受けられるよう仮の義務付け命令を出した。
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「地裁による仮の義務付け命令による波及効果」
上記、地裁の仮の義務付けの命令が出た直後、京都市近隣の市で、地域に住むALS患者に対して、(それまで重度訪問介護の支給は1日10時間が上限と市は言っていたが)、一日20時間の支給決定をしたいと言い出した。
この自治体はその前の月まで、そのALS患者に対して、「うちでは上限が300時間」と言っていた。
そういう行政の雰囲気を受け、そのALS患者は、介護が重くなったら家族に迷惑がかかる、そこまで家族を苦しめたくない、呼吸器はつけずに死ぬ、と言っていました。
主治医も、「この患者は呼吸器つけずに逝くのかな」という認識だった。和歌山地裁が仮の義務付け命令を下した翌日に、このALS患者のケア会議があ り、自治体の職員も同席。ALS患者は「行政のヘルパー時間数の判断次第で は、家族に迷惑かかるから呼吸器をつけない。どういう意向か」、と市職員に問いかけた。市職員は、同じようなALSの患者で、近隣の都市でも620時間程度出ているので、制度的にはいける、と言いました。
なんと、これにより、そのALS患者は、呼吸器をつけて生きる、と判断をした。長時間介護が出るかどうかの支給決定こそ、生死をわける最大の問題でした。それが出たから、その人は、家族とともに生きる、という決断をしました。
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上記の事例のように、充分な公的介護を受けられないために死を選ぶ、最善の医療を受けられないので死を選択せざるを得ない。このような環境が現存する。尊厳のある死とは何かという疑問もあるが、尊厳死、安楽死の議論は、まず安心して生きることができる社会保障制度が確立し、必要な人には必要な公的介護が受けられ、また必要な最善の医療が施されるまでは、議論を遡上に乗せるのは危険である。死を選択したくないのに、現状の社会保障制度下では選択せざるを得ない。このような状況を助長し、黙認しているこの法案は、非常に危険である。従って、当団体としては、本法案に反対する。
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参考20時間の介護認める=ALS訴訟、初の仮義務付け-和歌山地裁
時事
24時間介護が必要なのに公的な介護時間に上限があるのは違法として、和歌山市に住む筋萎縮性側索硬化症(ALS)の70代の男性患者2人が、市を相手に24時間介護を求めた訴訟で、和歌山地裁(高橋善久裁判長)は27日までに、患者1人が1日20時間の介護サービスを受けられるよう仮の義務付け命令を出した。原告弁護団によると、障害者自立支援法をめぐる裁判で、仮の義務付け命令が出たのは初めて。決定は26日付。もう一人の原告患者は今月8日に亡くなったため、決定が間に合わなかった。決定は、原告患者にはほぼ常時介護サービスが必要と認めた上で、妻の健康状態や経済状況を考慮。1日20時間分の介護サービスについて公的給付が必要と判断した。その上で「緊急の必要性がある」として市に対し、介護保険法で賄われている3.5時間分に加え、障害者自立支援法に基づき1日16.5時間の介護給付費の支給を仮に義務付けた。
尊厳死法制化を考える議員連盟 幹事 藤原 正司 様
「尊厳死」法制化に反対する緊急アピール
「尊厳死」法制化に反対する緊急アピール
DPI(障害者インターナショナル)日本会議 議長 三澤 了
貴職におかれましては、日頃より障害者施策の拡充にご尽力いただいていることに対し、心より敬意を表します。
日本会議は、種別を超えた障害当事者主体の団体が加盟し、1986年の結成以来、自立と社会参加、権利保障を確立するための活動を進めてきています。近年は2006年に国連で採択された障害者権利条約の批准に向けて、内閣府に設置された障がい者制度改革推進会議などを通じて、さらにその取組みを強化しています。とりわけ、どんなに重度の障害があっても地域での自立した生活の権利の実現を目指して活動を進めています。
さて、貴議員連盟が法制化を検討している「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案につきまして、私たちは強い危機感を持って受け止めています。なぜこのような法律が必要なのか、誰のために必要なのか理解できません。洋の東西を問わず、歴史上、障害者は生存を脅かされ、厳しい差別と偏見、排除の中で過酷な生活を強いられてきました。21世紀の今日においてさえ、障害者の人権が確立したとは到底言える状況ではありません。
障害があっても他の人々と同等の、当たり前の暮らしが出来ること、重い病気であっても、必要な医療や介護を受けながら、その人らしい尊厳ある生を保証することこそが、国の責任ではないでしょうか。人間の生死に関わる重大な法制度が、国民的な議論もないまま法案が作成され、国会に上程されようとしていることは断じて許されません。
以下、現在示されている内容について、私たちの見解を表明するとともに、2点の要望をいたします。
医療現場における医師と患者あるいは家族との関係は、医師の側に優位性があると言わざるを得ず、対等性を担保するための実効性のある施策の整備がまず必要である。「終末期」の認識は個々人によって異なるものであり、一律に法律などによって決められるものではない。
「延命措置」という表現は、マイナスイメージとして使用されており、必要のないものという認識が前提となっている。人工呼吸器、栄養補給、人工透 析などは、「生きるための必要不可欠な手段」である。「生存期間延長」のた めの行為はなぜ必要ではないと言い切れるのか不明である。
免責条項で医師の心理的負担は軽減するであろうか。本条項が法律案の肝であるとすればまさに本末転倒と言わざるを得ない。
昨年の通常国会で全会一致で成立し8月より施行されている改正障害者基本法では、その第3条に「全ての障害者が、障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有する」と規定されている。また、基本法改正施行直後にまとめられた障がい者制度改革推進会議・総合福祉部会の「総合福祉法に関する骨格提言」では、地域で生活する基本的権利として「障害ゆえに命の危険にさらされない権利を有し、そのための支援を受ける権利」の保障を求めている。
このように障害者権利条約の批准に向けた障害者制度改革では「尊厳にふさわしい生活を保障される権利」を求めているが、現在進められようとしている法制化は、こうした動きと逆行するものと言わざるを得ない。
記
障害者、患者、家族等、当事者・関係者の意見を十分に聴取すること。
現在進められている法制化を白紙撤回すること。
以上
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全国青い芝の会は「尊厳死法案提出」に反対し強く抗議をします。
尊厳死法制化を考える議員連盟 会長 増子輝彦 様 各議員 様
私たちはこの健全者社会にはびこる障害者差別と長年にわたり闘いつづけてきました。それは、私たち障害者を「本来あってはならない存在」・「間違った存在」と位置付け、この世に生きること自体を否定する優生思想との闘いでもありました。
それは親による障害児殺しから始まりました。障害者を不幸と決め付け、「死んだほうが幸せなのだ」という思いからの犯行だという事ですが、これに同情し、地域の住民からは減刑嘆願運動が起こりました。
こういったことを許すことは、私たち自身の存在を私たち自身が否定することだと、社会に対し鋭く問題提起を行なっていきました。
この「子殺し事件」は今も後を絶たないし、減刑嘆願運動という社会現象も後を絶ちません。
また障害者を合法的に生まれないようにしようとする動きは、旧優生保護法を始めとし、最近では出生前診断がより科学的に着床前診断、遺伝子診断という形で行われています。そして役に立たない人間を一方的に死と決めつけ殺していく「脳死・臓器移植法」の制定です。
このように人間を社会的な一定の能力で命の価値を決定する社会は、ますます強化されようとしています。それを露骨に現すものとして出てきたものが、「尊厳死法」の法制化の動きです。
私たち障害者を始めとする社会的に弱いとされる人間を抹殺しようとするこの動きは、正に「姥すて山」的な価値観を是とする社会の到来です。「人間の定義」を「社会的労働力のある者」と一方的に決め付け、それ以外の者は「人間」ではないから今にも死にそうな人を水も飲ませないで殺してもいいのだと言う内容での法律設定です。
そもそも人間の命を尊厳のある状態と尊厳のない状態に分けて考えること自体が障害者差別につながるものであり、それを「尊厳のある死を」などと他人に死を強要するように考える事自体が正に命の選別にほかなりません。
今、社会は親子が殺し合い、兄妹や夫婦が殺し合いバラバラにして捨てるなど、人間の命をあまりにも軽視する風潮が強くなってきているし、国は財政難を理由に年金や生活保護や医療費等の財出カットをやり、障害者自立支援法に到っては働けない障害者からまで利用料を取るという暴挙に出てきました。これは「働かざる者に死を」と言って来た事です。
このような時代の状況の中で、もし、「尊厳死法」なるものが法制化されるならば、拡大解釈され、治る見込みの無い患者、障害者、老人は周りの圧力で死を選ばざるを得なくなることは今まで国のやって来たことを見ると必然です。
今回の厚生労働省が総合福祉法の問題で福祉部会が出した骨格提言を無視し障害者の存在を認めず何かお可愛そうな者を救済するような原案文を出してきたり、さらにそれを認めるような内閣や政党がある事を見ても明らかです。私たちは絶対に許しません。
私たちは、このような考えから、どんな例え末期の患者の状態の者であろうと人間として認め、尊重し、命の選別を許さない、そして、どんな人間でも最後の最後まで命の火が燃え尽きるまで見届けられる社会を目指す立場から、また殺される立場に立って、この「尊厳死法」の法制化に強く反対し法制化の動きに抗議すると共に、このような法律を出そうとする国会議員の方がおられる事に日本社会の将来の危なさを感じざるを得ません。こんな事はすぐに止めていただきたいのです。
国会議員の皆さんの仕事はどんな国民の命を守り安心を与える事にあったのではないでしょうか。
日本脳性マヒ者協会「全国青い芝の会」
会長 金子和弘
山口県周南市周陽2-2-55
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肺移植は、患者の生活を大きく改善する可能性がありますが、手術後の管理と経過観察も非常に重要です。移植後の免疫抑制療法や定期的な検査は、移植臓器の健康を維持するために不可欠です。また、移植後の生活は、心理的な支援や身体的なリハビリテーションが必要な場合があります。肺移植は希望の光であり、患者やその家族にとって新たな挑戦が待ち受けています。 肺移植
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